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竹やぶ

蕎麦の世界に新たな風を吹き込み、今なお前進し続けているのが「竹やぶ」である。

開店したのは、昭和46(1966)年。現在は柏本店に加え、箱根店、六本木店と三店舗を構えているが、それぞれに主人、阿部孝雄さんの自由で豊かな創造力が発揮されている。その発想の源泉から店づくり・味づくり、そしてこれからの「竹やぶ」について語っていただいた。

竹やぶ 柏本店

竹やぶ 柏本店 (クリックで拡大)

1.「蕎麦屋」という仕事

生きていくための蕎麦

僕にとって蕎麦は、生きるためのもの。好きか嫌いかと問われれば、正直、嫌いです。好きな人だけをもてなせるならいいけれど、現実的には嫌なお客さんも来ます。しかも、この世界では新しいことをすれば叩かるし、お客さんが職人を育てる文化も消えつつある。決して好きではないけれど、生きていくためにはやっていくしかない。それが蕎麦なんです。

そもそも僕の場合、蕎麦屋になりたいという強い思いがあったわけではありません。就職列車で新潟から上京して、最初に勤めたのは家具の会社でした。そこに3年弱、勤務した後、上司と喧嘩して退職。たまたま「池の端藪蕎麦」の求人広告を目にして飛び込んだのが始まりでしたから。でも、これも縁なのでしょう。

店内

店内の様子

店づくりに必要なものとは?

店は人間がつくるものでしょ? 蕎麦がおいしいだけではダメ。 空間、サービス、器などトータルの店づくりが大事だと思っています。 いつも心掛けているのは、“オンリーワン”であること。 空間も、料理も、生き様も……。新しいことをするのはエネルギーもいるし、失敗もする。 でも、それを積み重ねて来たからこそ、少しずつ身になり、評価されるようになったように思います。

最近は、店づくりを設計事務所に頼むのが最先端みたいな風潮があるけれど、これは最悪。 店だけ立派でつくっても、中身が空っぽではちっとも魅力がありません。 上っ面のリップサービスで、もてなしをした気分になっている店も空しいですね。 本当にいいものなら、なにも語らなくても、もてなしの心が感じられるものです。もちろん、「俺は旨いものをつくっている」と誇示する店も感動しないし、行きたくもない。趣味でやっている店なんて言語道断。お金をもらって趣味はあり得ません。  たとえどんなにおいしいものでも、感動するのは最初だけ。もう一度、行きたいと思わせる店は、温かさとか懐かしさとか、なにかしら、いい“後味”があるんです。

手賀沼の眺め

お店の裏庭から手賀沼の眺め

素人でもプロでもない面白さ

僕の場合、店も味も“素人でもなくプロでもない”という中間を狙っています。 プロだと完璧過ぎて面白くないし、素人では物足りない。 その中間が、【オンリーワン-自分らしさ】 になると思います。  店づくりで言えば、自分で壁を塗ったり、古材で装飾やアプローチをこしらえたり。店主が工夫して手づくりした店は温かみがあるし、思い入れも増す。 ただし、お金をかけません。 僕の場合、手元にある材料と人との出会いで成り立っています。

「自分が楽しんで、手伝ってくれるみんなも楽しい」。 そういう気持ちでいると、面白いアイデアがポンポン出てくる。その辺に転がっている石や木も、「これ、使ったらどうだろう」と目がいくようになるんです。

継続することは難しい

うちのように、玄蕎麦を農家から買う店では、生産者とお客さん、そして、僕ら作り手とのバランスが大事です。それぞれに喜んでもらえる仕事をしなくてはいけないけれど、これがなかなか難しい。  一番いい蕎麦を出したいと思っても、いつもいい材料があるわけではない。一番いい蕎麦が出来たからといって、わかってくれるお客さんが来るとは限らない。いらしたお客さんすべてを喜ばせるのも簡単ではありません。3割の方が満足してくれればいいというのが僕の考えです。野球ならかなりの高打率。イチロー並みです。

もう一つ、店の難しさというのは、継続して行くことでしょう。そのためには、“温故知新”です。新しいものだけでは倒れやすいし、古いものだけだと進歩がない。古いもの大事にしつつ新しいものつくり、時代背景に合わせた自分らしさを出していく。それが継続につながって行くのではないでしょうか。

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