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江戸蕎麦手打處 あさだ

2.大卒からの名店修業

日本料理で学んだ、料理の本質

そば屋の跡継ぎの修業というと、よそのそば屋に行くのが一般的ですが、私は日本料理をしっかり勉強しようと考えました。  そばは日本料理の一つであり、日本を代表する食文化です。 天ぷらや寿司と並ぶ歴史があるのに、飲食業界ではなぜか低く見られていました。 日本料理のある方から、「そば屋は霞を売っている」 と言われたことがありますが、確かにそば屋でしか通用しないような常識もいっぱいあり、否定はできませんでした。  たとえば、もり汁とかけ汁は、今でこそ作り分けている店は多くありますが、ひと昔前まではかえしもだしも一緒。 まったく違った味わいのものなのに、希釈率を変えるだけで二種類にしていたのです。 こういったところが低くみられていたのです。 そば屋の息子に生まれた私にとって、歯痒くて、非常に悔しかった。

自家製珍味いろいろ

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 「料理を知る」 というのは、技術を身につけることではなく、料理の本質を知ること。 飲食に携わる者にとっては“核”となる、その本質を日本料理の店で学ぶことができました。  まず修業に入ったのが、 道場六三郎さんの店 「ろくさん亭」 です。 当時、道場さんはテレビ番組 「料理の鉄人」 に出演されていて、大変な人気店でしたが、ラグビー部の大先輩が道場さんと懇意にされていたことから、幸運にも紹介していただくことができたのです。  ここで二年ほどお世話になった後、徳島の名料亭 「青柳」 が東京に進出して、「basara」(現在は閉店)という店を開くから働いてみないか、というお話をいただきました。

「青柳」 もまた、私の憧れのお店です。 雑誌の記事などを目にする度に 「こんな店で仕事をしてみたい」 と思っていました。 ここで、現在は 「かんだ」 のご主人となられた神田裕行さんと一緒に、店の立ち上げから携わることができたことは、とてもよい経験になりました。  実は、この話をくださったのは、料理評論家の山本益博さん。 山本さんもやはりラグビー部のOBから紹介していただきました。  入りたくても入れないような名店で、日本料理の本質に触れられたのも、すべてOBから頂いたご縁のおかげです。 その貴重な経験を通じて、「料理は覚えるものでない。考えるものだ」 ということを深く知ることができました。

手打ちの技術や経営学を学んだ店

日本料理を学んだ後、実家に戻る前の最後の一年間は、「本陣房」(本店/東京・新橋)で働かせていただきました。 山本育磨社長とは、ラグビー部のOBであり素人そば打ちの名人としても知られた池田史郎さんを通じて知り合いました。  「本陣房」 は会社帰りのビジネスマンがお酒と手打ちそばを気軽に楽しめる店です。 この先、「あさだ」 を盛り返すために必要な要素をたくさん備えているため、ぜひ、働きたいと思っていたんです。  「そばがおいしいだけでなく、そこにいかに付加価値をつけるか。 トータルな魅力があってこそ、お客さまに喜んでいただける」 というのが山本社長の考え。 日本酒は全国各地から選りすぐり、つまみにオリジナリティのあるものを置いたり。 昔のものを守ることも大切ですが、これだけ食が多様化する中、蕎麦屋として、常に変化や進化して行くのも必要と感じました。

 また、売り上げを上げないと飲食店は成り立たないということも、ここで働いて実感しました。 利益をだせば、スタッフの給料もそれなりに払うことができます。 それによって長く勤めてもらえるから、自分の負担も減らせて、新たなチャレンジができる。 すべてがよい方向に向かうのです。 では、そのためにはどうすればいいのか。 「そこを自分なりに考えなさい」 と山本社長によく言われたことを覚えています。

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