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かんだ やぶそば

2.江戸蕎麦の伝統について

辛い、高いという評価には抵抗しない

毎朝、開店前に蕎麦を一人前食べて蕎麦と蕎麦つゆの状態を確かめています。 よく蕎麦と蕎麦つゆが昔と変わっていない、といわれますが、そんなことはない。 人間の身体が要求するものは昔と今では変わっていますから。 昔は長時間、肉体労働していたから塩気が必要だった。 今は頭脳労働が増えたので昔よりも塩分を減らすといった変化は加えてきました。 うちの蕎麦つゆと並木のそれを比べれば一目瞭然。 並木の辛いつゆが藪蕎麦本来のつゆの味に近い。 しかし、手抜きで変えたのではなく、時代とともに変えてきた。 伝統とは革新の連続なりということを代々実行してきた結果です。 辛い、高いという評価には抵抗しません。 この場所でこれだけの設えで値段が違って当たり前。 それを選ぶのはお客様の自由です。 世の中から評価されなければ店が廃れるわけですから。 ただ更科、藪、砂場の蕎麦つゆの特性は変わっていない。 それは蕎麦の特性が違うからで、絶対的な位置づけは変わっていません。

店内の様子

店内の様子

青みがかった蕎麦が藪の伝統

蕎麦は細切り。 切りべら23本といわれる江戸蕎麦に近いでしょう。 昔は全国のいたるところで生産されて蕎麦もローカル色豊か。 ことさら細く製麺する意識はなかった。 江戸の町が急速に発展して人口も膨張、世界一の都市になっていく中で、蕎麦がファーストフードになっていく。 すると、細くてつるつるの蕎麦がいいという嗜好となり、どれだけ細く切れるか職人の自慢となる。蕎麦は男社会で外食が当たり前の江戸の風土から生まれた外食です。 蕎麦がやや青みがかっているのは藪蕎麦の伝統です。 初代が工夫したもので、新蕎麦の緑がヒネの時期にはなくなり、蕎麦が不味く見えるために「蕎麦もやし」の青汁を練り込んで見た目の爽やかさを出した。 現在はクロレラで色を出していますが、以前より色が少し薄くなっています。 厳密にいうと蕎麦も蕎麦つゆも時代に合わせて少しずつ変わっています。 クロレラもいつの日にかやめてもいいのかな、とも思っています。

戦前からのメニューを復活させる

メニューでは昔からあるのは蕎麦寿司。 これは並木藪の奥さんの実家の蕎麦屋で出していたものを踏襲しています。 穴子は戦後父が始めたものです。 江戸前の蕎麦というので穴子南蛮を出していました。 今は蕎麦よりも穴子白焼きを蕎麦前でつまむ客が多くなっています。 父が当主だった頃に僕が復活させたのが、霰蕎麦、小田巻き蒸し、白魚蕎麦。戦前に出していたものです。 新たに珍妙なものを考えなくても、昔美味しかったものがあるのだから、それをもう一度出してみようということです。 食べて美味しいのも大事、見てきれいなのも大事です。

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